2011.7.19
豪雪で春の訪れの遅い魚沼の地も、山野が若葉でおおわれる頃になると、それ迄雑木の梢の先で空に向かって春の喜びを叫んだホホジロや、朱い花咲くヤブ椿に囲まれた木々の中で美声を競った鶯達にかわり、海を渡り南方から遠来の歌い手の鳥達が多く来る。
棚田では田植えで多忙の農人達の頭上を、子育てに餌を集めるツバメが飛び交い林や森からはホトトギスやカッコウの歌声があふれ、その移動する飛翔の姿もはっきり見る事ができた。季はすでに初夏。植えられた早苗もスクスク育ち翠田となり一番草・二番草と雑草取りに忙しい時となり、爽やかな風が稲田を吹き抜ける。
キョーッ・・・キョーッ・・・キョーッ・・・キョッ・・キョッ・・キョッ・・
キョッ・キョッ・キョッ・・・・・と、初めゆっくりと、段々早くなっていく澄んだ細く、もの悲しい鳥の啼き声が風にのって運ばれて来た。南方からはるばる渡って来たヒクイナである。なかなか姿を見る事は出来ないが、一度出会った事があり頭部から背は薄黒い焦げ茶色、胸から腹部の緋色の鮮烈な色彩と稲株の緑色との対
比。稲の株間をアッと云う間に素早く逃げ去った姿は、忘れ得ぬ一瞬の出来事だった。
その細く澄んだ独特のリズミカルな啼き声は「クイナの戸たたき」と云われ、昔から人々に親しまれてきた。昼だけでなく夜も、遠く近く誰かを呼ぶ様に、そのもの悲しげな声で啼き続ける。その声は、月のない暗い夜をいっそう深く神秘的に感じさせた。
同じ時期にホトトギスもキョッキョ・・・キョッキョッキョ・・・キョッキョ・
・・キョッキョッキョ・・・と昼夜啼き続ける。「啼いて血を吐く・・・」と表現された事もうなずける。五月闇の中で啼き続けるその声は、深山幽谷に居る様な夢幻的境地にさそい込まれた。
古来より文学的、宗教的、詩歌の名作品が多く生まれ、伝えられてきたのは、姿形のみならず、その啼き声の魅力が人々の心をとらえた所以であろう。
今日から50有余年前、故郷の生家の自室で、真夜中の静寂に一人で聞いた忘れ得ぬ思い出である。
星霜を重ね人間社会の変化とともに町中はシャッター通り、山間地は高齢過疎化が進む中で中越地震が発生して今日では周辺の風景も環境も変わり、あの鳥達は今でも来ているのだろうか?
この度の東日本大震災の発生により、改めて天災の強大な力の脅威には人間の如何に小なるかを思い知らされた事と感じ、歴史の上でも先人達が繰り返して来た様に、復興と復活への再建協力こそが多くの犠牲者への鎮魂となる事と思う。
自然豊かだった中に、それとも思わずに暮らしていた事を思い出して・・・・。

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