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今月のエッセイ

2009.12.1 「赤とんぼ 雑感」藤田正純


作品のタイトル


 昭和20年(1945年)旧制中学へ入学。政府は戦時特別法の発令と同時に施行し たため、鉄筋4階の由緒ある畝傍中学校舎は海軍経理学校に接収され、私たち学生は間 借りをした近くの小学校と幼稚園舎でスシ詰め授業。教科書は先輩から譲り受けた古本 を持っている生徒が散見できる程度。
間もなく近郊の中学校・女学校生徒は近鉄田原本 駅近くの飛行場建設に駆り出されて毎日を過ごすことになります。
海のない奈良県に海軍飛行場とは意味が分かりませんが、空襲警報の合間を縫って木製ドームの航空機格納庫や滑走路整地のための人海戦術です。男子学生は土砂運び、女学生はローラ引き作業 が主な仕事でした。
作業の現場監督は海軍飛行予科練習生(予科練)たちですが年齢は 3歳ぐらいの違いです。作業の罰に良く腕立て伏せをさせられましたが、昼休みに彼ら を囲んで集まるのも楽しみの一つ。
すっかり打ち解けて仲間のような気分で名前も覚え て仲良くなり、冗談やバカ話の交歓に親しみを感じていました。
ふっと顔が見えない「 ××さんは?」と尋ねたら、「あゝ、行ったよ!」と、それだけで全てを了解できまし た。毎日のように、九州の基地からは片道の燃料だけで爆弾を抱えた若者の特攻隊が出 撃している現実を知っていました。
その予科練生たちが日常訓練で空を翔けていた愛称 『赤とんぼ』という練習機は、布張り複葉機で機体が軽いために不時着しても、とんぼ 返りで麦の茎群に支えられたまゝ、ふんわり浮いていましたから。

 海軍飛行場の動員作業が終わって「お別れ会」が開かれました。全員が集められ整列 して代表者挨拶のあとは滑走路に腰を降ろして海軍々楽隊のブラスバンド演奏を聞く行 事です。
既にアッツ島、サイパン島の玉砕が報じられて、転戦に転戦(退却の報道語) を重ねて追い詰められた海軍の沖縄決戦を目前にして、不利な戦局は小学生にも解かり ますから、大見出しの「帝国海軍自信満々」という朝日新聞の見出し記事を子ども心に ハッキリ記憶しています。
しかし戦後になって当日の新聞記事を確認するため、奈良市 立図書館や昭島市立図書館へ通って根気良く調べましたが、一面記事も地方版によって 随分違うことを発見。その内容らしい関連記事を見つけましたが、当時の私が見た「奈 良版」を確認することはできませんでした。
その執念は子ども当時から、口には出せな いが陸軍は大嫌いで、山本五十六元帥の国葬ごろからウソばかり発表する海軍にも不信 感を抱き、勝ち戦をしているとも思いませんが降伏も考えられず、民族は全滅すると思 っていました。
家族のために国賊とか卑怯と呼ばれることだけを怖れて誰にも相談でき ず、死ぬことが怖いのではなくて、どのように卑怯でない死に方をするのか、連日深刻 に悩んでいました。名古屋の兵器工場で直撃爆弾を受けた上級生と同じく、二十年以上 も生き延びることなど想像もできない当時のことです。
腹の中では「ウソつき海軍め! 」と想いながら軍艦マーチなど勇ましい吹奏の軍歌を聞いていましたが演奏は童謡の『 赤とんぼ』に替わった時のこと、気づかないまゝ溢れる涙で情景がぼやけてしまい、重 圧のストレスがすっきり洗い流されていました。
帝国海軍を信頼する、海軍は本当に強 いのだ、海軍と一緒に死ぬのだと決意が湧きあがり、澄み切った、すがすがしい気持に なっていました。
軍歌ではなくて童謡の『赤とんぼ』になぜ海軍の強さを感じたのかと いう不可解なナゾは長い間の宿題でした。
何年も経って「ねむの木学園」宮城まり子先 生が学園の子どもたちに「お絵かき」指導しているテレビ番組を見てナゾは氷解。
まり 子先生は「強いことは、やさしいことなの。やさーしく、やさーしく。」とクレヨンを 持つ手で大きいマルを描きながら、子どもたちへ語りかけていたのです。
「強いことは、 優しいこと」そうです。弱さを覆い隠す強がりの威嚇行為が動乱を巻き起こしているの かもしれません。弱い犬は吼えると言う、『赤とんぼ』の優しさに強さの原点を直覚で きるのでしょうか。

 ある女性編集者に、瑞穂の稲作サイクルと同期して『赤とんぼ』(あきあかね)が飛 翔する風景を相談しながら、写真があれば彼女の郷里の岩木山を遠景に、黄金の稲田を 描いてはと提案したら急に顔を輝かせて遠くを眺めるように、うっとりした眼をして乗 り気になって数日後には参考資料に岩木山のスナップ写真を届けてくれた経緯が強く印 象に残っています。
「あきつしま大和の国の橿原の畝傍の宮に…」(万葉集)と詠われ たように、私たち稲作民族の原風景の『赤とんぼ』には奥深い暗黙智の帰るべき安住世 界が在るのでしょうか。
 根強いファンを持つ歌手「ちあきなおみ」の持ち唄に、小さな飲み屋の店を畳むため に永く通ってくれた馴染み客への感謝を歌いかける『紅(あか)とんぼ』という曲。
し みじみとした彼女ならではの情緒。新宿にあるという店の名前の『アカとんぼ』は、何 か安らぎを求めて立ち戻り、疲れを癒してくれるイメージを醸し出しているのでしょう か。
 時代は移り代わってその曲は、我が市のゴミ収集車が鳴らす合図のメロデーに採用さ れて今は電子チャイム音の『赤とんぼ』に条件反射で、ぷーんとゴミの臭いがするので すが。



※イラスト(ナツアカネ):七宮賢司画