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今月のエッセイ

『水銀の話』たぐちとしかず



 水銀と聞くと昭和世代の人は「体温計」と「赤チン」を思い出すのではないでしょうか。
子供の頃に体温計をうっかり壊してしまい水銀を散らしてしまった思い出があります。
金属なのに液体で、しかも粒状に転がる水銀を不思議な気持ちで見ていました。
有毒だという事で家中大騒ぎで回収しましたが…
「赤チン」の方は正式には「マーキュロクロム液」といい、どの家庭でも大抵は常備していた赤色をした消毒薬です。
擦りむいた膝小僧などに派手に塗って勲章の様に見せびらかして歩いたものです。
赤チンの殺菌作用は水銀によるものだと聞かされましたが、その含有量は微量であり、皮膚からの浸透性も低いので 外用薬として使う分には安全なのだとか。
 この「水銀」ですが歴史…殊に古代史を眺めていると色々な場面に登場します。
まず水銀は「辰砂(しんしゃ)」という赤褐色の鉱物から採取されます。 辰砂をすり潰して顔料として使ったものが「朱」または「丹」と呼ばれるものです。 古墳の石室の彩色にも使われていることからかなり昔から利用されていたようです。
神社の鳥居の赤も水銀朱を使っていました。
古代中国では皇帝が不老長寿の薬として服用していたそうで、かなりの貴重品だったようです。
ただし前述の様に人体に有毒なため中毒死した皇帝もいたそうですが。
 これほど珍重された辰砂ですから交易品の対象だった事は想像に難くありません。
日本では古くから紀伊半島(三重県や奈良県辺り)に鉱山が開かれました。
古事記、日本書紀に「神武東征」という話が出てきます。
カムヤマトイワレビコノ命が九州を立ち、東へ進み、最後は奈良で初代天皇として即位するお話です。
エピソードの大半は紀伊半島に入ってからの抵抗勢力との攻防に割かれています。
神武天皇が奈良を目指した理由は辰砂の鉱山が目的と考えると意外にしっくり来ます。
当地には今でも「丹生」の地名が多く存在します。
 真言宗の開祖「空海(弘法大師)」が金剛峰寺を開いたのも和歌山の高野山です。
もともと伝説の多い人物ですが、「遣唐使の際に路銀代わりに辰砂を携帯していた」とか 「中国で水銀鉱脈の探し方を学んだ」とか「初代ミイラ仏になる際、その防腐には水銀の殺菌作用を利用した」 など水銀関係の伝説が数多くあります。
高野山の鎮守も「丹生都比売神社」という名です。
 奈良の大仏を作る際にも水銀が利用されました。
今でこそ見た目が黒い奈良の大仏ですが、最初は金メッキが施されていました。
金と水銀を混ぜた粘土状のもの(アマルガム)を大仏に塗り付けた後、熱する事で沸点が低い水銀を蒸発させ 金を蒸着させるという方法です。
さて、ここで問題となるのが蒸気になった水銀はどこにいくかという事です。
有毒な蒸気により多くの水銀中毒者を出し、平城京は遷都を余儀なくされたという説があります。
「平安京」誕生の裏には水銀の存在があったのかも知れません。
 上に挙げた話はいずれも日本史上の大事件といっても過言ではないでしょう。
ただし古い時代の事でありどれも想像の域を出ませんが…。
記録が残っていなかったり資料に乏しい反面、想像がかきたてられるのが古代史の魅力です。
ごく最近も水銀関連のニュースがありました。
「水銀に関する水俣条例」を受けて2020年12月製造分を持って国内の赤チンはその歴史の幕を閉じました。
事の善し悪しは別にして、また昭和がひとつ消えた思いです。