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今月のエッセイ

『りかび展@多摩ZOOこだわりの一枚・博物標本画について』七宮賢司









私が理科美術を志すきっかけとなったのは、東京造形大学絵画科在学中に友人の一人に紹介されたアルバイトを引き受けたことです。
そのアルバイトは細密画家の仕事の手伝いでした。
当時、その方はフリーランスの細密画家で複数の出版社等から膨大な量の仕事を受注し、締め切りに追われ毎日のように徹夜で制作に励んでいました。

目の前に置かれた作画原稿の山に当惑しながら作業に入りました。
図鑑出版社の魚類図鑑でしたが、まず指示されたのは資料収集でした。
その頃はインターネットなどもなく図書館や書店で目当ての魚の写真やイラスト、図版などを探しコピーをとり資料袋に入れてゆきます。
入手可能なものは現物を買ってきて写真を撮りますが死んだものはやはり色や形が変わっていますから生態写真は必要です。

できるだけ多い方がよいとのことで、その作業だけでも何日もかかりました。 気が付けば何日も自宅に帰らず徹夜作業をしていました。

今思うと美術大学に多浪して入学したものの現代アートに興味が持てず作家としての方向性を見出せずにいた自分 には堅牢な意義と制作に意志が感じられる学術画の制作がとても新鮮で魅力的に感じられたのだと思います。
かれこれ30年前のことです。

図鑑・標本・資料画はいわゆる絵画とは目的そのものが異なり、形とは生物分類学における標徴(分類の指標となる)いわゆる形質を指します。
したがって多くの資料を見比べながら最も平均的な特徴を拾い出し、信頼のおける学術書の記述を確認し種の同定(どうてい)に役立つように線を見出してゆかなければならないものです。

頭を左、尾を右に魚体を横たえ体の外かくで体形を表しますが、
具体的に特に注意する点は、

[外形]
目の位置と眼径、鰓蓋(さいがい)の形状、各鰭の形、大きさ、位置、棘条(きょくじょう)、軟条(なんじょう)、棘状軟条、分枝軟条(ぶんしなんじょう)、角質鰭条の特徴と鰭条数(きじょうすう)、鱗構造と形(5種あり)、側線及び側線鱗数(そくせんりんすう)、吻(ふん)の形状、肛門の位置、鼻孔等々。

[体色]
地色、斑点、斑紋の色調や形が近縁の種でも微妙に差異があり分類には有効です。
一般的には背面は濃く背面は淡い色調で斑点や斑紋は地色より濃いものもあれば淡いものもあります。
同種でも生息環境によって色調にかなりの違いがあることも多いので極力平均値を探ることも大切です。

[表現]
前述の外形及び体色等量的形質を壊さないよう、主観的な表現を抑え、陰影等も極力ニュートラルな表現方法で且つ自然に描かなければなりません。
ある程度の知識も必要ですし絵描きとしてはかなりストイックなものだと思います。

昨今、図鑑がブームだと聞きますが、日本の沿岸、近海、湖沼に生息する海水魚、淡水魚は3000種を超えます。
専門的な研究者向けの検索図鑑と一般書の図鑑とは網羅性において大きな開きがあり厳密に種の同定をすることは難しいかもしれません。
しかしながら、研究者ならずとも、採集した魚の名前がわかることは喜びになるでしょうし、種名を知ったうえで飼育、観察をするのは科学教育の観点からも有意義なことです。

大学を卒業後はフリーランスのイラストレーターを職業として、動植物、科学、人文科学からリアルイラスト、商品企画デザイン画、プラネタリウムソフト原画、新聞、雑誌の挿絵、建築パース、漫画イラスト、CM用立体造形物、絵画教室講師等々色々と幅を拡げることとなりましたが、すべて魚類標本画の考え方が基盤にあったのだと思います。
今回の企画展でやはり魚類の博物標本画が私のこだわりであり原点であったと気づかされた次第です。