Essay

2024.03.09

『私が出会った「戦艦イラストレーター」たち その1』水野行雄

上田毅八郎(ウエダキハチロウ 1920~2016.6/18)

上田氏と初めて会ったのは1971年、水道橋駅神田三崎町にあった
「版下工房」につとめていた頃、昼休みに近所にあった洋書店
「ライト航空」に行った時である。お店のカウンターにケント紙
を束ねて持っている右手が不自由な初老の人がいました。そのケ
ント紙を広げるとそこには「ドイツ製蒸気機関車」が描かれてお
りました。
その数、何十枚。私がおどろいていると「この絵は誠文堂新光社
に画集を出して欲しいと売り込みに行ってきたところだ」と答え
てくれました。そのおじさんは「おれはアマチュアで絵を描いて
いる」「金をもらって描いている人の絵は良くない」といってお
りました。

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それから数日後、銀座5丁目イエナ洋書店の蒸気機関車コーナーに
行くとあのおじさんがおりました。おじさんは私に「機関車は好
きかい?」と。私は「大好きです」と答えますと「おれはこの本
棚の本はほとんど持っている」といいました。

その後、夕刊を広げると静岡プラモデルメーカー4社が共同企画
で「700分の1・ウォーターライン」を発売するとの記事が。この
プラモデル箱絵200隻を描いたのは浜松在住の上田毅八郎氏だと。
その作者の顔写真はあの「ライト航空」で出会ったおじさんでした。

上田氏の家は油絵用アトリエと水彩画用アトリエがあり、庭には
描きかけの油絵のキャンバスが何十枚も天日干しされておりました。
上田氏からワトソンイラストボード、ニッカポスターカラー、艦の
バックは始めに暗い色を塗る、などの技法をおしえていただきま
した。
上田氏の本棚には戦艦、蒸気機関車が何百冊もならんでおりまし
た。
「おれはロンドンに行って大使館在住の奥様に10万円をわたし、
ロンドン市内の古本街を案内させ何十冊も古本を買い込み船便で
日本に送った」といっておりました。
上田氏は「日本が戦争に負けたのは数だ、アメリカは銃弾をうち
まくる、日本は一発一発、これでは負けてあたりまえだ、だから
おれは1枚描くのも10枚描くのも一緒だ」と。これで200隻を一人
で描きおえたのがわかりました。
上田氏は軍艦と帆船、SL、車も描き、戦中沈んだ民間船も多数
描き、ご遺族に渡しておりました。

2001年、静岡市で「ウォーターラインシリーズ」の原画が展示さ
れ、その見事な筆使いにおどろきました。
2016年に96歳で亡くなりましたが、上田氏との出会いは私にとっ
て大きいものでした。

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