2023.10.01
11月15日~2月15日は狩猟期間です。
私は猟銃で主にキジ・カモ・ヤマドリを狙い、河川敷や渓流沿いを犬と歩きます。
てっぽうで猟をするには、第一種狩猟免許(3年更新)と猟銃所持許可(3年更新)、狩猟者登録(毎年)の手続きが必須で、これがまた煩雑で出費もそこそこかさみます。
それでも7年続けてきた理由は、猟の面白さもありますが、「さよ」の存在が大きいです。
「さよ」は、生後3ヶ月頃に保健所行き寸前で貰ってきた犬で、間もなく5歳、甲斐犬の血が半分入った猟犬気質と、相変わらずの人見知りで、慣れた人以外には心を許しません。
猟場で見知らぬ人の気配がすると、野生動物に対する時とは明らかに違う唸り声をあげて相手に近づき、近辺をしばらく走り回って吠え続けます。彼女のこの行動に、最初私は悩みました。
先輩達の猟犬はとても人なつこく、それでいて猟場では獲物探索に夢中で、他人の存在に気付いてもいちいち吠えて向かって行ったりしません。
「さよ」が獲物よりも他人を気にするのは、やはり人に懐きにくい性格だから仕方ないのかと思っていました。
ところが、甲斐犬を猟に使っている知り合いが同じ事を言っていて、これは猟場での誤射を防ぐための犬の大切な行動なのだと知りました。
犬が吠えることにより、飼い主も、吠えられた相手も、お互い近くに他人(別の猟師)がいることを悟り、危険が及ばないよう配慮することが出来るからです。
この習性は、特に和犬に多く、洋犬にはあまりないようです。
狩猟ブームだった昭和50年代頃までは、今ほどシカやイノシシが多くなく、たまに趣味で楽しむ猟と言えばキジやカモ相手がほとんどでした。
そのため、ポインターやセッターなどの鳥猟犬(鳥猟専門に作出された犬種)がもてはやされ、優れた犬は高値で取引されるほどでした。
ただ、それら鳥猟犬は元来人に従順であるがため、猟場での盗難も多かったと聞きます。
知らない人に呼ばれると喜んでついて行って、そのまま盗まれるなど、警戒心の強い犬では考えられないことです。
繁殖において徹底した人為選択をかけられてきた洋犬と違い、日本各地の山間部で細々と血をつないできた和犬は、人に媚びすぎない自我を持ち、ある意味全ての獲物に対して万能に対処できる猟犬として生きてきたようです。
人の命令に盲目的にならないからこそ、日本の山野を自由に安全に駆け回ってこれたのだと実感しています。
さて、そこそこ自我の強い「さよ」は、甲斐犬の他に柴犬とビーグルが混じってはいますが、やはり和犬の血が濃いです。
キジやヤマドリ、シカの気配を感じ取ると、ポイントもセットもせず、猛然と走り出して追い出すので、射手は彼女の動きをよく観察して銃をかまえる必要があります。
自分がかなわない相手と分ると、決して不用意に近づきません。
その場合は牽制して吠えながら射手に目配せしますから、こちらも危険な獲物と判断して気を引き締められますし、「さよ」自身も怪我をしなくてすみます。
彼女は私から半径50メートルほどの範囲で獲物を出してくれるので、射程距離としては丁度良く、慣れた先輩猟師はうまいこと当てますが、私はだいたい外します(苦笑)。
犬は運動神経や嗅覚・聴覚だけでなく相手の動きを読んで先回りする能力も優れていますが、如何せん、視覚は人のそれに及びません。
太古の昔から、犬と人が互いの能力を補完しあいながら共に狩りを行ってきたのは必然的なことであり、その原始の関係性を現代において体現できることは、私にとって大きな喜びと驚きの連続です。
普段はおとなしい性格の「さよ」も、2歳までは野外での行動にやや落ち着きが無く、呼び戻しを無視して走り回ったり、軽トラ荷台のクレートになかなか入ろうとしなかったりと、若犬らしく自分の欲求を素直に表現していました。
ところが、3歳を過ぎた頃から私の言うことをよく聞くようになり、一緒に山を歩いていても頻繁にこちらを振り返って私の位置を確かめ、いつでも指示に応えられるようなそぶりを見せるようになりました。(ただし、獲物を見つけてしまうとその限りではありません)
落ち着いた年齢になったのだなぁと感心する反面、あまりに早い「さよ」の成長に、私はいつも恐れと切なさを感じます。
「さよ」にとっては私が唯一の家族です。お互いに無くてはならない大切なパートナーだと認識できた時、この上ない幸福感と安心感が生まれます。
しかし、来たるべき別れの瞬間を想像せずにはいられない「弱み」が、人である私の心の中で勝手に大きくふくれあがるのです。
今年ももうすぐ狩猟解禁、さぁ、準備をしよう。
「さよ」、おまえと可能な限り一緒に歩き続けるために。
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