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今月のエッセイ

2009.2.3 「ホタルの里づくり」浅井粂男


作品のタイトル


 きっかけは単純に”子供の頃への郷愁”でもいい、成功しさえすれば自分にとっても、また見に来てくれた幾人かの友人知人やご近所の方々にとっても、もうとっくに失われ消えてしまった、懐かしい自然のひとつ”ホタルの飛ぶ水辺”を取り戻すことができたという幸せな気持ちにさせてくれることになるかもしれない。
 私の「ホタルの里」つくりのどうきは、そんな単純で曖昧な思い付きだったかもしれない。
2003年の春、借り受けていた200坪ほどの、ネザサとクズに覆われた荒地に井戸を3本掘り、池を5つ作って水路を巡らし、やっと生き物が住めそうな環境になるまでに3年かかった。

 井戸水は一応枯れることなく出るが水質が悪く、金気を含んだ悪水は池や水路を赤茶色のヘドロで埋め尽くし流れをせき止める。
始めのうちはメダカでさえ住める環境ではなかった。
水質改善の試行錯誤は、人に聞いてよいと思われることはすべてやってみた。
消し炭を使った浄化装置をいくつも繋げてみたり、池の中にはセリや葦を植える、などいろいろやってみたが、やはり水質は改善されたようには見えなかった。
決定的な解決は、「どこかに一旦水をためて沈殿させればいいじゃない」という妻の一言だった。
 一番下流の池を大きく深いものに掘り換え井戸水を貯めてからポンプで汲み上げ、上流から流した。
結果は大成功。水は口に含んでも金気を感じない。
これならメダカやフナ、ホタルや餌さとなるカワニナも住み続けられるかも知れない。

 まったく外の用水や川とつながっていない人工の水辺のこと、人の手を経なければホタルやカワニナが自然に入ってきて住み着いてくれるはずはない。
 ヘイケボタルは近くの山里にわずかに生き延びているものを数匹採集してきて卵をとり幼虫から育てた。
このホタルの養殖は失敗することなく順調に育ったがカワニナは、そう簡単に水路や池で住み着いてくれたわけではない。
 カワニナが住み続けられるための水辺の改良は大掛かりなものになった。 
まず水路や池の周りに落葉樹の苗を植えて日陰を作り、真夏の水温の上がりすぎをふせぐ。
池の一つを水田にして稲を植える。
水路にはこぶし大の石を敷き詰めて、カワニナの餌さとなる珪藻が育つようにする、水路の縁には苔を植えるなど、ひと夏を費やして改善した。
 カワニナは近くの用水路で湧き水のあるところに生き残っているものを採集してきて放流する。
3年ほど放流し続けたらカワニナの小さな幼生が見られるようになってきたので、この場所で繁殖し始めていると思い、今は放流していない。

 「ホタルの里」作りを始めて3年目にはホタルの幼虫の飼育の段階で失敗、1匹も飛ばなかった。
翌年水槽で養殖したホタルを5月始めの蛹になる直前に水路に48匹放流したが、羽化したのは2匹だけだった。
次の年、638匹放流した結果6月にはいっせいに羽化して大乱舞となった。
 しかし私は満足できなかった。
蛹化直前に放流すれば1ヵ月後には水辺の環境が悪くても羽化はできる。
本当にこの「ホタルの里」で生まれて育ったホタルが飛んだとき初めて成功したといえるのではなかろうか。
だめかもしれないが一旦放流をやめて来年自然に羽化して飛んでくれるのに賭けてみよう。
幸いたくさんのペアーが交尾するようすを確認していたので、期待と不安の中で翌年の6月を待った。

 飛んだ!!
数は少ないが、ここで生まれ育ったホタルが飛んだ。

 「ホタルの里」つくりが、こんなに大変だとは思わなかった。
百パーセント、成功したとはいえないかもしれないけれど、とにかく飛んでくれた。
ホタルの飛び交う姿は、私を子供の頃の懐かしい風景の中へ連れて行ってくれる。
これは誰にも共通する、失われた自然への郷愁であり、再び会えた歓びを共有できると思う。
この「ホタルの里」つくりが、いつの間にか忘れられ失われていった大切なものを取り戻そうとするきっかけになるとすれば、まんざら無意味ではなかったかもしれない。