今月のエッセイ
2009.1.2 「フラクタル」四本彬

パソコンが普及し始めて間もない85年頃のことであるが、紀伊国屋書店か丸善だったか忘れたが、たまたま、洋書売り場を歩いていると、黒地の表紙に色鮮やかな模様がついた、妙に気になる一冊の本が目に付いた。
その模様がコンピューターグラフィックスであるらしいことはわかったけれども、手にとって見ると、それは、今だかって見たことがない不思議な模様であった。
パラパラとめくって見ると、中にも、奇妙な模様や図形が、ざくざく並んでおり、非常に興味をそそられたので買って帰った。
それは、べノア・マンデルブロ著「自然のフラクタル幾何学」という本であったが、大冊の原書を読むのは大変なので、そのうちということで、内容もわからないまま、ツンドクの仲間入りとなった。
しばらくすると、日本経済新聞社から「フラクタル」という表題がつけられて、広中平祐訳の日本語版が出されたので、早速購入した。
しかしながら、これも拾い読み程度でかんたんに理解できるような内容ではなかったので、やっぱり真意は分からないままであった。
このフラクタル数学が、コンピューターグラフィックスの制作に、非常に役に立つ学問であることが、CG技術者たちによって注目されるようになり、フラクタル関連の本が洪水のように書店の棚に並ぶようになった。
これらの本や雑誌の何冊かをいろいろ読み比べることで、やっとフラクタルの全容が理解できるようになった。
自分でも、フラクタルパターンを作ってみようとしたが、当時のパソコンはスピードが遅かったから、ほんの小さな断片をつくるのにも、一昼夜かかったりするので、「フラクタル」の本に載っているような複雑な図形を描くのは、とうてい無理であることがわかった。
フラクタル図形は、ようするに、くりかえしの図形なのである。
通常のくりかえしと違う点は、フラクタルの場合には、部分が全体をくりかえすということなのである。
たとえば、何本かの等しい長さの直線がつながってできたジグザグの折れ線があるとしよう。
その一本一本の直線を、このジグザグの折れ線全体を縮尺したもので置き換えることを考えてみよう。
はじめの折れ線よりはるかに複雑な折れ線ができるはずである。
このようなくりかえしの操作を続けていくと、折れ線はどんどん複雑になっていくが、全体の形はあまり変わってはいないのである。
このようなくりかえしは、再帰的くりかえしといわれ、自己相似性をもつ形なのである。
自然の中の形は、みんなこのようなくりかえしでできているのである。
それは、たとえば、海岸線の長さが、地図の縮尺率で変わることを考えれば、容易に納得できることであろう。
つまり、たとえば20万分の1の地図では、なめらかな海岸線も、5000分の1の地図では、細部が拡大されて、入り組んだ地形が見えてくるので、結果として海岸線の長さは長く測られるというわけである。
従来、ごつごつした山肌とか、動物の毛皮といった、自然の中にある複雑なくりかえしの図形を、まともに、コンピューターグラフィックスで描こうとすると、とてつもない量のメモリーと手間を要するので、ほとんど不可能とされていたのであった。
ところが、フラクタル数学を使うと、かんたんな数式に、単純なくりかえしの操作を加えることによって、ほとんど無限といってよい複雑な形を生み出すことができるのである。
したがって、メモリーも非常に少なくてすむので、コンピューターグラフィックスで、いかにもそれらしい自然の状景を、つくることができるようになったわけである。
フラクタル図形の基になったのは、ジュリア集合とかマンデルブロ集合という、純粋に数学理論にもとづいている図形で、虚数(自乗するとマイナスになる数)を含んでいる単純な数式(複素数)に、くりかえしの操作を行ってつくられている。
このような図形の研究は、J・ジュリアという数学者の論文(1918)に端を発しているが、図形の作成には膨大な計算を要するためコンピューターなしには、これらの図形の全容は実現されることはなく、1977年にいたってマンデルブロの著書により世界的に知れ渡ることになったわけである。
美しいフラクタル画像のお勧めナンバーワンは、パイトゲンとリヒター共著による「フラクタルの美」(シュプリンガーフェアラーク東京刊)に止めを刺す。
手前味噌ながら、私は、パソコン黎明期から10年近くにわたって、生きものの形の、かんたんな対称性を扱った、「むかいあわせ」「うずまき」「くりかえし」という3冊の幼児向き絵本を、コンピューターグラフィックスを基本のコンセプトにしてつくってきた。
3冊目の「くりかえし」では、コンピューターグラフィックスは使わなかったが、話のあやとして、身近なフラクタル図形をあしらってみようと思い、再帰的なくりかえしの例として知られているシダの葉を加えることにした。
この試みは、絵本にフラクタルを取り上げた最初のケースであるという、編集者からの、ありがたい評価をいただいた。
おかげさまで、これらの絵本は、コンピューター技術が長足の進歩を遂げた今も、オールドファッションに追いやられることなく、生き長らえている。