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今月のエッセイ

2008.11.24 「ユートピア」 四本彬


作品のタイトル


年の瀬が近づいて、デパ地下や家電量販店が賑わいを増す時節になった。
装いを競い合って、所狭しと並んでいる商品の山。
思い思いのファッションに身をくるんで行き交う品定めをする人々の群れ。
こんな情景を見るたびに、戦後長い間耐乏生活を経験してきた私などは、あゝ、とうとうユートピアが実現したのだ、という思いがしばし胸をよぎるのである。

養老孟司著「バカの壁」に、「人生の意味」について考えている一節がある。
「人生は無意味だと思っている現代人が実に多いように見えます。
人生の意味について考えていくことが、個人にとっても共同体にとっても、非常に必要なことなのではないか。」というのである。
そして「年々、自殺者が増えているということは、直接的には不況などが原因になっているとはいえ、突き詰めれば人生に意味を見出せない人が増えている、ということに他なりません。」とも述べている。

私は、人生に特別の意味があるとは思っていない一人である。
とはいっても、人生が無意味だとはけっして思っていないのである。
どういうことかというと、人は、生物の一員にすぎないのであるから、生きる意味という点では、他の動物となんら違いはないと考えているのである。
つまり、すべての動物が、生きる意味など考えずに精一杯生きようとしているように、人間も与えられた生を精一杯生きればよいと考えているのである。
そういう意味で、無意味ではないと考えるのである。
このことは、次のように考えればかんたんに説明できることである。

宇宙の中で、自分というものは、たった一人しか存在しない。
(もし、宇宙のどこかに、もう一人自分がいたとしたら、まったく妙なことになることは容易に想像がつくことである。)ということは、宇宙のどこかに、自分が生まれると、もう宇宙の他の場所に、別の自分がもう一人生まれるチャンス(確率)はゼロになるということを意味している。
したがって、数学の確率論で考えると、自分というものは、この広い宇宙の中で、まったく偶然に地球の人間として生まれてきたということになるのである。
宝くじに例えると、当せんが決まるまでは、すべてのくじが当たりくじの候補だけれども、ひとたび当せんが決まってしまえば、他のくじは、すべてはずれになるというわけである。
というわけであるから、どこかまったく別の星の、惑星の生物として自分が生まれてきたとしても、科学的には矛盾がないということになるのである。
したがって、地球の、まったく別の生物として生まれてきたとしても、もちろん不思議ではないのである。
そういうわけであるから、人間を他の生物とちがった何か特別の生きものであると考えるのは不自然なことなのである。
人の脳は、他の動物より異常に発達したために、不遜にも、人生の意味などということを考えるようになったわけであるけれども、今いったように、人だけが、特別に、生まれてくる意味をもっているわけではないのである。
私たちは、他の動物に比べれば、はるかに恵まれた条件のもとに生まれてきたのであるから、その利点を大いに活かして、四季折々の変化を愛でたり、旬の味覚を楽しんだり、音楽や美術を鑑賞したり、娯楽を楽しんだりしながら暮らしていけば十分ではないだろうか。
それ以外に特別な人生の意味を見つける必要があるだろうか。
人間は、これまで、「食うに困らない」社会を築くために必死で努力してきたかいがあって、現在、その目的はほぼ達成されているといえる。
つまり、ユートピアの最低水準にはすでに到達しているのである。
私が子供の頃(65年ほど前)、科学技術が進歩すれば、オートメーションやロボットが発達して、人間は働かなくてもよい時代がくるのだといわれたものである。
時代はそのとおりに進み、さらにコンピュータ技術まで発展して、帳尻の上からは、そろそろ夢の世界が実現していなければならないわけである。
ところが、働かなくてもよくなった人たちは、楽ができるという予想とはうらはらに、リストラや失業という事態に直面することになってしまったわけである。
その原因は、結局、企業間の競争が厳しすぎるために、ワークシェアリング(みんなで仕事を分け持つこと)がうまく機能しないからだということがわかる。
つまり、体制の変革が、時代の変化に追いついていないということなのである。したがって、貧富の格差は、遅かれ早かれ、社会の体制が変革されて解消されていくことであろう。
そして、すべての人が、おだやかな一生を過ごしていける世界が実現されることは間違いない。
その世界こそがユートピアであり、究極の「人生の意味」に他ならない、と私は考えている。

ユートピアの定義として、私が気に入っているのは、たしか、ヨーゼフ・ボイスという、美術家であり、思想家でもあった人だったと記憶しているが、TVの講演で語っていた次の言葉である。
「すべての人が芸術家であるような世界が理想である。」というものである。
つまり、すべての人が、芸術家の心をもっているような世界がユートピアであるといっているのである。
いいかえると、すべての人が、カルチャースクールの生徒のように、自分の好きな創作に没頭しているような社会が、ユートピアなのだと考えているのであろう。
しかし、そのような社会がほんとうに実現された暁には、世界中いたるところにガラクタの山が築かれることになるのかも知れないが、それでも、まぁ、いいか。