今月のエッセイ
2008.11.21「忘れ得ぬ瞳へのつぶやき100撰
-想い出深き小品たち(自選・第2回)すみれ-」狼林

すみれの母ねこはチィーちゃん。白黒のブチ。純ノラ。
父ねこはグレイ。灰キジ。準ノラ。ながらく近所のボスを務めている。
数年前のある朝、グレイがおさな顔のガールフレンドを連れてきた。
ご自分だって半分ノラのくせして、人間臭を警戒するチィーちゃんにいいからいいから入れよと、我がアトリエに連れ込んだ。
きまえよくご自分のえさをゆずってやる。
よっぽどグレイの食事に魅力を感じたのか、その日から毎日アトリエに通ってくるようになった。
そして、チィーちゃんがしゃにむに食するあいだ決まって夫を続けてしまうグレイであった。
こうして2年前の春、すみれはわたしのアトリエでうぶ声をあげた。
ヒィヒィ~ン。
ニャーとかミャーとか、とうていねこらしくはなけない子だった。
はやくその姿を見たい衝動にかられたが、幼き母親となった彼女は決して許さない。
やっと出産の翌日、チィーちゃんがトイレに出かけたすきに、段ボール箱の産室を手さぐりした。
手のひらの子はあまりに小さかった。みれば真っ黒。
黒ねこは予想外であったので、すこぶる驚きふためいた。おんなの子だった。
そして、初産のためかひとりっこであったため、なおのことわたしに溺愛されることとなった。
はやく名前を決めてやらねばなるまい。
ちょうど桜の満開時期だったので、サクラと名付けた。
しかしその2日後、親しくするとなりのそのとなりの隣家に、お孫さんがお生まれになり、同じさくらと名付けたことを知り、あわててすみれに変え未来の誤解を解いた。
すみれはじつによくわたしになついて育った。
わたしが寝るよ、と声をかければヒィヒィ~ンとご返事をして同じベッドにもぐり込んでくる。
うでまくらをおねだりして、いい夢をみる。
わたしが夜中に起き出せばよなかに、朝にめざめればあさに、昼まで寝坊すればおひるまでより添い、いつでもいっしょに起き出すかわいい娘だった。
すみれはとても活発であった。
あさひの空き地を走りまわっては、電柱よりはるかに高いオニグルミの古木をかけあがり、その小さな重みに先端の茂みがたわむまで登りつめて、犬の散歩の人からカラスに見まちがわれることすらあった。
すみれは勇気ある革命女史でもあった。
毎夜、闇のなか庭にくり出しては、おおきな瞳をらんらんと輝かせ、人類の宿敵ゴキちゃんを追いかけまわす。
夜の運動会に集まってきたほかのノラたちをさしおいて、黒光りをつかまえるのはいつもすみれであった。
ある日、とうとうわたしに現行犯逮捕され、口にくわえるな!おんなの子だろ、はしたない、きたない、はきだせ!!とたしなめるやいなや、あわててバリバリかみくだきゴックン、ヒヒィヒィ~ンという。
まわりの古老兵たちが驚愕の表情ですみれをあがめたものだ。
かつて、ゴキちゃんを主食に選んだ生物がこの地球上に君臨した事実をわたしは知らない。
女史はある種の進化をみすえて、新たな道を示唆したのかもしれない。
今宵もどこかのなか庭で、いっせいてき進化をとげたニャンたちが、バリバリやっているにちがいないのだ。
革命戦士すみれ。
すみれはすくすく育ち初めての夏をむかえた。
ある日の午後、わたしは意味のないテレビをつけ、ベッドにまどろみうつらうつらとしていた。
横ではすみれもお昼寝。すみれの吐息があつい。
網戸からセミの声をのせて夏風が入る。すみれの片耳がぴくりと立ちあがる。
セミの声が止み、しばらくして先ほどより近くで鳴く。すみれの片目がひらく。
今度は庭のスモモの木あたりに、うるさいほどの声となって移動してきた。
と、その時である。
あれだ、あれ。あの時のあれ。ゴキちゃんの時のあのぎらぎら目。
両目をあけたかとおもうと、ベッドを飛び跳ね6畳間をひとっぱしり、ダイニングを走りぬけ、資料本にかこまれたアトリエを風のように疾走し、次の瞬間にはもう、網戸ごしに黒い影となってあらわれた。
そして、あ・ら・らという間にスモモの木から鳴き声が止み、かわりに尋常でない悲鳴へと変わりはてた。
一呼吸おいて、さきほどと同じコースをその悲鳴が走り帰ってくる。・・・!まて、いらない!!
が、時すでにおそく、ベッドに飛び帰る黒い影を見たような気がした。
おもわず両手で顔をおおう。
おそるおそる指のあいだからのぞけば、荒息のとどくほどの間近にすみれのお顔。満足げな目。
口元から茶色の羽がふるえながらはみ出ている。
やめてくれ!取り上げかけるのと同時にバリバリ、ムシャムシャ、ゴックン。
闇夜のゴキちゃんは、しばらく食べつくされていったが、セミのお味はよほどまずかったらしい。
飲み込んだのはこの一回だけだ。
しかし、狩猟本能を満たすのか、このセミ狩りは日課へと発展させた。
それも秋風を感じるようになると、わが家に近づくセミの悲鳴もやがて途絶えてほっとした。
すみれは晴れた日の午前中にはだいたい外出した。
その日はいつもより早く帰ってきた。
部屋のすみで、なにやらカリ、コロ、コロロンと音をたてまた出かける。帰ってくる。コロリーン。出かける。帰ってくる・・・
ある日、音の出どころを確かめてみた。
観葉植物の大鉢に山積みされたドングリ。
となりの空鉢をのぞいてさらにびっくりである。
あるわあるわドングリの山。
セミのかわりはドングリにしたらしかった。
今でもひょっこり芽を出すドングリたち。
すみれはよくかぜをひいた。年中はなたれでなみだ目だった。
3度獣医さんに助けてもらった。
治療中の検査で白血病であることがわかり、寿命はながくて1年半と宣告されてしまった。
昨年夏、4度目の助けが必要になった時、今度ばかりは打つ手がない、といわれた。
入院は考えず、最後をわたしのベッドでむかえることにした。
やがて体力は衰退しきり、口に運ばれるえささへ、いやいやをするようになってしまった。
1日の大半、目を閉じている。
外出時、はやく帰るからね、と声をかけると半目をあけ、イヒィヒ~ンと小声のご返事をした。
そして、水さえ飲めなくなって4日目。
すみれ、助けられなくてごめんというと、声を発することのできぬままわずかに口元の筋肉だけをゆれ動かし、静かにわたしの腕の中で一年半の短い生涯を終えた。
最後までニャーといえなかったすみれ。
わたしは忘れない。
F3号キャンバスにアクリル画。
2006年1月、聖蹟桜ヶ丘京王百貨店ギャラリー企画個展出品作。