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今月のエッセイ

『絶筆』松原巌樹






付図
① シラネヒメハナカミキリ 日光白根山(1953年)  ② カラカネハナカミキリ  雲取山(1962年)
③ コキベリアオゴミムシ  横浜市戸塚(1962年)


僕の手元に「小さな手帳6ページ分のコピー」が有ります。
文字の大きさが不揃いで、かなり下手な字で殴り書きしてあるのです。
実は父の手帳の一部分なのです。

僕は8人兄弟の6番目に生まれました。
大勢の姉妹に囲まれて生長してきたせいでしょうか、体力も度胸もいたって乏しいのに引換、父は豪快で向気の強いひとで、文字を書くことを 生業にしていました。
40歳を過ぎたころから心臓に病を発症したようです。心臓弁膜不全で 時折呼吸が困難になる発作をおこします。
晩年は青山の電気局病院の病床にいましたが、 或るとき発作で言葉も出せない状態で、母に手真似で紙と鉛筆を所望したそうです。
慌てて 枕元の手帳と鉛筆を渡すと、肩を上下させながら、必死で何かをかきとめました。
死ぬ二日ほど前のことだったようです。
享年43歳の若さでした。正に絶筆でした。
ちなみに父の死んだ次の日は僕の小学校入学の日でした。

かなり年数を経て母が仏壇の引き出しに大切に保存していることが判り、兄がコピーをして 兄弟姉妹に配ってくれました。
文面は母に済まないね、ということと長兄と長女に母と兄弟 たちの事を頼む。といった短文でした。兄や姉たちは、文字通り青春を犠牲にしながら、 幼い兄弟たちを守り通してくれましたから、今でも頭が下がります。

 話は変わりますが、僕には中学生時代に始めた道楽が有ります。
昆虫採集です。
蝶から始まりましたが、その他別に系統だった狙いは無く、「気に入った虫」なら何でも良いのです。
まさか大人になって標本画を描く専門職に携わるようになろうとは夢にも思っていませんで したが、いまにして思えばずいぶんと幸せです。
一箱に何百匹も収まる標本箱があれよあれよ という間に山積みになります。
しかし出版社から依頼を受ける種類はあるていど共通の種類の 昆虫に限られていますから、何十年もの間一度も出番のない標本のほうが圧倒的に多いのが現 実です。
僕にしてみれば数ミリにも満たない黒い虫にも採集に行った場所や同行した相棒のこ となど、語りきれない物語が詰め込まれているのです。
 八十歳を目前にしたある日、これらの供養しなくてはいけないと一念発起。そこで始めた遊びは 「絶筆の更新」ごっこです。
字描きや絵描きが死ぬとその人の「これが絶筆でしたね」と話題に されることがしばしばあります。
そう思ったとき‘僕の絶筆ってどんなものが選ばれるんだろうか?
せめて無駄死にさせた昆虫君の名を思い浮かべることができるかも・・・
 早速古い標本箱から一匹を選んで実体顕微鏡の下に置き十数倍の拡大図を描き上げ、鉛筆で最新 作品と描きました。
結構楽しいので急ぎ次の標本に取り掛かり、またまた二日ほどで仕上げ、先般 の作品に書いた最新作品の文字を消し、その文字を新作にかきなおすのです。
こうして今日までにほぼ100枚が溜りました。 「絶筆」。
このタイトルが家人たちには不評で、縁起が悪いとかなんとか言われましたが、最近で は「この次の絶筆はどれなの」と次を待ち望んでいるようにさえ思えます。
どうやら絶筆のいみが判らなくなったのでしょうか(笑)
僕本人も人間生きている限り最後があり、自分の最後の形を「このへんかなー」と知るのも悪くな いような気がしていました。
でも・・・・。
最近二日ばかり体調不良な日が続きました。
気分が悪くて普段のことがぜんぜんすすまないのです。
三日目にけろっと治り、振り返ってみたら描きかけの絵のことなどなにも覚えていないではありま せんか、大笑いです。
結局自分で最後の仕事を確認することなどできないことが判りました。