理科美術協会が設立されてほぼ半世紀が経過した。我が国に於いて本格的な生物の調査研究がなされる様になったのは、シーボルトの来朝によるもので、彼はその結果を後日かの『Fauna Japonica』にまとめて出版したが、その中には当時の日本人画家の手になる図も多数収録されている。
これらの図を描いた日本人画家はそれまで花鳥風月を描いていた日本画家であるが、シーボルトは彼等に西欧式の画法技術を伝授して近代的な博物画という新しいジャンルをもたらした。
科学資料画家の著作権を自ら守ろうではないかと牧野四子吉・小林勇・立石鉄臣・白尾三男・斎藤謙綱・佐々木啓祐・鈴木史朗らの呼びかけで神田駿河台の雑誌会館に集まった理科系挿絵画家32名は、その日のうちに集団結成を果たした。一般の挿絵や童画家に比して需要のきわめて少ないこの業種は当然それに携わる人も少なく、おまけに資料の採集や観察、研究に費やす労力も膨大でこの道を一筋に関わるためのエネルギー源は、ただ「好きだから」の一点に尽きるもので、到底職業とは言えないものだった。あの頃は我々理科系の作品についての著作権という認識が出版社や執筆学者、そして画家本人にさえも希薄な時代だった。その後関西方面の画家にも参集してもらい60余人になったと記憶している。「著作権を主張したこの日から当然自作品のオリジナリティというものへの責任が自らに背負わされた事」を肝に銘じたものである。小生20代前半だったが、末席でその熱気に圧倒されたものだ。(松原巌樹談)
日本理科美術協会創立。会員67名。会則等決定。8月内規決定。会報no.1発行。
第一回理科美術展開催。会場・池袋三越、後援・朝日新聞社。
美術著作権の解説を作成し全会員に配布。
機関紙「理科美術」第一号発行。出版美術協議会結成に参加(協会以下6団体)各要望を集め、書協と懇談を重ねる。
第二回理科美術展開催。会場・池袋三越。会員数77名になる。
千葉県御宿に理科美術海の家を設ける。
第三回理科美術展開催。会場・池袋三越、課題「街路樹」特陳列。
東雲堂との著作権問題が1年10ヶ月の審議を終え、25日東京地裁で判決。画家側の全面勝訴となる。励ましと祝電が殺到し、意気上がる委員会では声明書と機関紙第二号を発行。
御宿に再び海の家を開設、会員家族の交歓で華やいだ。
第四回理科美術展開催。会場・池袋三越。協賛出版社へ画集アルバム贈呈。
尾瀬の自然研究に取り組む。
第五回理科美術展開催。会場・池袋三越。協賛出版社20社。絵画69点、写真15点を展示。
総会で会則の一部を改正。
第六回理科美術展開催。会場・池袋三越。協賛出版社20社。
第七回理科美術展「尾瀬展」開催。会場・池袋東武デパート。後援・厚生省、科学博物館。
美術著作権連合結成に参加。文部省著作権審議会へ出版美術に関して要望書を提出。
理科美術標本画展を科学博物館と共催。会場・科学博物館。
第八回理科美術展開催。会場・新宿京王デパート。
日本児童文化舘(千葉県鹿野山)に理科美術作品42点を出品。
理科美術小品展開催。児童文化団体と共催。会場・池袋西武デパート。
第九回理科美術展開催。会場・池袋豊島文化センター。
新著作権法施行。理科美術家の要望も少なからず反映。
電通の依頼で、全国イラストレーター一覧に全会員の作品を掲載。
秩父展計画が進み、資料採集旅行などがさかん。
NHKテレビ放映に関しての取り決めや、教科書協会との交渉が美著連ペースで順調にすすむ。
協会創立以来満20年。機関紙「理科美術3」の発行。会報「りかび」復刊。秩父展への取り組みの一つとして「秩父あれこれ」の連載を佐々木啓祐が執筆を開始。
「理科美術4号」発行。付録に会員紹介号として主要出版社に配布。
「理科美術5号」発行。
「理科美術6号」発行。
「理科美術7号」発行。
日本理科美術協会30周年。7月7日~12日第十回理科美術展を「’88理科美術展」と銘打って開催。会場・銀座プランタンデパート内の読売サロン。「理科美術8号」発行。「’88理科美術展」の特集号とした。
日本複写権センターに加入。
「理科美術9号」発行。会員のプロフィール紹介号で、各人のこれまでの業績、著作等を詳細に記述。
「理科美術10号」発行。
日本理科美術協会40周年。
第十一回理科美術展開催。「日本理科美術協会展」の名称で。会場・山脇ギャラリー。22名参加。
別冊理科美術『理科美術展2005』の名称で日本理科美術協会の歩み~協会設立の動機と経緯・資料画標本画について・現役理科美会員の作品とプロフィールを掲載したポケットサイズ28ページオールカラーのパンフレットを発行。
第1回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。20名参加。
第十三回理科美術展開催。「理科美術展2009」の名称で。会場・山脇ギャラリー。22名参加。
第2回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。9名参加。
第十四回理科美術展開催。「理科美術展2011」の名称で。会場・山脇ギャラリー。19名参加。
第3回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。11名参加。
第4回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。9名参加。
第5回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。14名参加。
第十五回理科美術展開催。「理科美術展2013」の名称で。会場・山脇ギャラリー。22名参加。
第6回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。14名参加。
『理科美術協会』の名称で日本理科美術協会の歩み~協会設立の動機と経緯・資料画標本画について・著作権ID番号について・現役理科美会員の作品とプロフィールを掲載したA435ページオールカラーのパンフレットを発行。
第十六回理科美術展開催。「理科美術展2015」の名称で。会場・山脇ギャラリー。17名参加。
第7回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。13名参加。
第十七回理科美術展開催。「理科美術展2016」の名称で。会場・山脇ギャラリー。19名参加。
一般社団法人日本理科美術協会設立
第8回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。14名参加。
第十八回理科美術展開催。「理科美術展2017」の名称で。会場・山脇ギャラリー。18名参加。
第9回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。10名参加。
第十九回理科美術展開催。「理科美術展2018」の名称で。会場・山脇ギャラリー。19名参加。
第10回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。11名参加。
第二十回理科美術展開催。「理科美術展2019」の名称で。会場・山脇ギャラリー。25名参加。
第1回地方展開催。「理科美図鑑 科学をアートする」及び「理科美図鑑+α こだわりの世界」の名称で。
会場・長野市立博物館及び戸隠地質化石博物館。22名参加。
第11回りかび展@TAMA ZOO開催。会場・多摩動物公園ウオッチングセンター展示ホール。12名参加。
理科美術協会が設立されてほぼ半世紀が経過した。我が国に於いて本格的な生物の調査研究がなされる様になったのは、シーボルトの来朝によるもので、彼はその結果を後日かの『Fauna Japonica』にまとめて出版したが、その中には当時の日本人画家の手になる図も多数収録されている。これらの図を描いた日本人画家はそれまで花鳥風月を描いていた日本画家であるが、シーボルトは彼等に西欧式の画法技術を伝授して近代的な博物画という新しいジャンルをもたらした。以降それに伴う印刷技術、機械、写真機等の紹介・発達により、明治の開化後の学校教育に用いる教科書をはじめ、一般図書にも美しい図版が使われる様になって、その後の学問・技術の発展、文化の近代化を推進してきた。
昭和期に入りかの大戦によって一時の頓挫を余儀なくされたが、終戦を迎えて平和が回復するや一時の停滞をとり返すべく旺盛な文化活動が再開され、出版界は、百科事典・動植物図鑑・児童用学習図鑑等の類を続々刊行した。当時その図を描いたのが、結成間もない理科美術協会の人々であった。その後学問の細分化、専門化が進むにつれ画家の専門分化も進み、全ての分野に於いてそれぞれが得意とする部門を分担して描く様になった。画家にも次第に精緻な知見、知識が必要となり、専門家としての技術も次第に高度なものとなった。博物画発足当時と比較すると表現の仕方が大いに進歩し、従って図の美しさ、信用度もはるかに高まった。
ところで、精巧に描かれた図鑑の絵は一見徹底した写実画と思われがちであるが、これは資料画或いは標本画といって鑑賞用のペン画、リトグラフィーとは異なり、あくまで学問的、科学的な説明の目的に則して描かれた、特別の表現機能をもった画である。従って標本画を描く場合、画家は標本を眼の前に置き、必要な測定などをしながら描いてゆくが、標本をそのまま写実的に写し取るわけではない。先ず信用できる参考書物の記載を読み、その記載に従って数値などを合わせる。ハイライトや濃い陰影など、その個体が元来もっていたものではない外から加わったものは極力とり除いて描くので、立体感など描き表し難いことがある。こうした場合、その種の説明に関係のない所での多少のデフォルマションなどで感じを出す。外形の表現には古来からあった白描の筆使いは参考になり、又利用すると効果的である。ペン先での点描による影の表現は多用するとうるさく、かつ表現したい部分を見難くするが、簡潔に引かれた筆線は無駄がなく美しい。これは描き方の基本としてカラーの図の場合にも言える。
最近では描き方の進歩のみでなくカメラや印刷技術、更にコンピューターグラフィックスの発達普及によって、従来描くのに大変な努力と時間、高度のテクニックを要していた事柄が容易に描けるようになった。とはいえ所詮毛筆の線の様に微妙な感じを一線に要約した表現は無理で、やはり手作業の方が向いている。
この様にして描かれた標本画がその本領を発揮するのは主として学術書に於いてである。今日自然への関心も高く、印刷技術も発達しているにもかかわらず、出版社は学術的な図鑑を出版しようとしない。世の中全て儲け主義になってしまい、儲からない文化的事業は見棄てられている。この様な特別なテクニックを要する技術は一度忘れられると、後日再興しようとしても困難なものである。理科美術協会存在の意義を改めて世に示す所以である。
2005年10月 日本理科美術協会 渡邉可久